エミリィ・ディキンスン資料センター便り【2022年10月】
2022(令和4)年10月の「エミリィ・ディキンスン資料センター便り」The Whisper from Amherst~エミリィのささやき~
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稲刈りも大半が終わり、隠れ家を奪われたカマキリやコオロギが所在なさげに姿をさらけ出したりしていると、そっと草むらに連れ戻したくなる季節がやってきました。金ケ崎町では初夏まで町民を震撼させたクマに代わり、ヘビが最後のひと暴れをしています。そんな生き物たちの息の根を止めようと、寒さが虎視眈々と狙っています。
‘Apparently with no surprise’
Apparently with no surprise
To any happy Flower
The Frost beheads it at its play?
In accidental power?
The blonde Assassin passes on?
The Sun proceeds unmoved
To measure off another Day
For an Approving God.
見たところ 花のひとつさえ驚かすことなく
霜は遊び戯れる
幸せそうな花の首を切って落とす
もののはずみと言いたげにー
ブロンドの暗殺者はそのまま去り
太陽は心を動かされることもなく進み
明日の起動を測る
神のご裁可のもとにー
(訳: 中島 完 「エミリ・ディキンスン詩集 第4集」 国文社 より)
エミリィの詩には題名がありません。 それでも出版のために、亡くなった後はもちろんのこと、生前も本人の承諾なしに題名がつけられたり、連に分かれてないものを4行の連に分けられたりしたことがありました。この詩もその1つで、1890年に「死と生」という題名が付けられて、2つの連に分けられ、“Poems(詩集)”に掲載されました。
鵜野ひろ子氏によって訳された「エミリ・ディキンスン事典」によると、夏についての言及は145か所と圧倒的に多く、冬は30か所、春は29か所、そして秋は15か所です。月毎に数えると、その限りではないようですが、いずれも自然と時間の両方に関するエミリィの興味が結びついていると評されています。
この詩も表向きは、秋によくある光景を描いたものであり、容赦ない自然の変化を表しています。‛Apparently’(見たところ、明らかに)1つをとっても、無邪気な花が気まぐれな自然の力によってもたらされる自分たちの死を明らかに受け入れているという意味なのか、それともその哀れな花たちが危険を知るための時間を明らかに与えられていなかったという意味なのか解釈が分かれるところです。
また、花が戯れている間に突然首が折れてしまうのか、霜が戯れている間に花の首を折ってしまうのか、どちらにも受け取れるかもしれません。
はっきりしていることは、エミリィは突然の死について深刻に書いてはいないことです。いくつか例外はありますが、エミリィらしさとは概して死を客観的にユーモアを交えながら表現することです。この詩もコミカルな擬人法や第三者的視点を使って、自然だけでなく、人間にも降りかかる神の不可解な残酷さを強調しています。
幸せそうに咲いているのはコスモス、それとも菊の花でしょうか。例え花であろうとも、首が折れるのはあまり気持ちのよいことではありませんが、寒さによって甘さを増す野菜や色づく果実もあるのも事実です。それを含めて神は自然の変化を承認しており、太陽はコントロールする神様のために決められた軌道を決められた速度で動くのみであることをエミリィは表現しています。
Nellie’s Mom



霜が降りた花 太陽の軌道 Mt. Berkshire
(マサチューセッツ州バークシャー山)