エミリィ・ディキンスン資料センター便り【2022年06月】

2022(令和4)年6月の「エミリィ・ディキンスン資料センター便り」
The Whisper from Amherst~エミリィのささやき~ 

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アメリカ、ニューイングランド地方の冬が厳しく長いのは以前に幾度かお話ししました。冬が明けると、さわやかな新しい季節がやってきて、6月ともなれば、蜂も飛び出し花も次から次へと咲き出します。天国、夢、6月の蜂、そして無邪気で怖れを知らない元気な男の子が第1行目の暗いイメージを振り払うように走りだすテンポのよい詩をご紹介します。

‘The nearest Dream recedes-unrealized-’

The nearest Dream recedes-unrealized-
The Heaven we chase,
Like the June Bee-before the School Boy,
Invites the Race-
Stoops-to an easy Clover-
Dips-evades-teases-deploys-
Then-to the Royal Clouds
Lifts his light Pinnace-
Heedless of the Boy-
Staring-bewildered-at the mocking sky-

Homesick for steadfast Honey-
Ah, the Bee flies not
That brews that rare variety!

一番身近な夢は果されずに遠のく
私たちの追いかける天国は
少年の前に現れた6月の蜜蜂のよう
競争しようよと誘い
クローバーに急直下 襲いかかる
と身をかわし じらし 戦闘開始
と 高貴なる雲のところまで
小艦艇を軽々と上昇配置させ
あざける空を 当惑し 見つめ
絶品の蜜が欲しい
ああ あの希有な蜜を醸る
蜜蜂など飛んではいない!

 (訳: 岩田 典子 「〈境界〉で読む英語文学」 開文社出版 より)

この詩は、エミリィがまだ詩を出版する意欲があった1862年、文芸批評家としても活躍していたユニテリアン派の牧師Thomas Wentworth Higginsonへ手紙を添えて送った4篇の詩の1つです。エミリィは手紙で「お忙しいとは存じますが、私の詩が生きているかどうかお教え願えないでしょうか。」と問いかけています。当時のアメリカは、1837年に即位したヴィクトリア女王が君臨する大英帝国の影響下にあり、「優美で上品」をよしとする風潮がありました。当時の詩壇でもてはやされた詩は、通り一遍の上品な言葉の羅列で教訓的でもありました。エミリィは定型詩を認めながらも、「息をしている詩」、生きている詩を主張しましたが、すんなりと受け入れられることはありませんでした。
詩を手にしたHigginsonは、鳥の足跡のようなエミリィの筆跡とか、ダッシュや大文字、古い英語が目立つこと、韻律やリズムの不規則に目がいってしまい、「発作が起こっている」と仰天し、当惑したそうです。
30年後の1891年、エミリィの死後に詩集が出版される時でも、Higginsonは「(前略)これほど優れているのに、これほど批評しようにもしにくいものを文学史のどこに位置づければ良いのか」とか、「表現の風変わりな巧みさと、蜂の動きと共に耳が上空へと向かうなど、この詩は彼女の作品の中で最も繊細で、凝った作りの詩である」と評価しています。
エミリィがこの詩を最初に書いたときは、‘The maddest dream-recedes-unrealized-(一番無謀な夢は果されずに遠のく)と始まっていましたが、Higginsonに送るときは修正しています。エミリィ・ディキンスン研究の第一人者岩田典子氏は著書の中で、エミリィの「一番身近な夢」は、Higginsonに詩を認めてもらうことであったと、述べています。
Nellie’s Mom

      
            
     
     ヴィクトリア女王       クローバーとマルハナバチ            小艦艇